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カテキヨースタッフより!

2022年9月8日

[コラム]中学生、小学校入試を解く

これはだいぶ以前のことになりますが、複数の中学生を対象にある簡単な入試問題を解いてもらうということを試みたことがありました。そこで用いた問題は以下のような問題でした。

【ある駄菓子屋さんでは、コーラの空きビン3本で新しいコーラがもらえます。太郎君はコーラを10本買いました。太郎君は最高で何本のコーラを飲むことができるでしょうか?】

入試問題を解いてもらうという講師の発言に一瞬こわばった彼らの表情もしかし問題を見たとたんに、

「ん?これ、小学生が解く算数の問題?」 

「すごく簡単な問題に見えますけど、なぞなぞみたいな引っかけ問題ですか?」 

「先生、これはいったい何の冗談なんですか?(笑)」

「そもそもこんなんコーラを飲んだらアカンやろ(笑)」

などなど、皆一様に相好を崩し、出された目の前の問題に興味津々な様子です。私が用意した問題は、実は首都圏の某難関小学校の入試問題だったのですが、小学校受験の入試問題ですから、実際に問題に取り組む受験生の年齢は5~6歳の年長のこどもたちです。その問題に15歳が取り組むというのです。ですからあまりにも手応えに欠けるものだったかもしれませんし、否、失礼でさえあったのかもしれませんが、でも皆楽しそうに問題を見つめてくれています。中学生が解く小学校入試問題の会(?)がはじまりました。


さてこの結果を教師視線で予測すれば、答えのだいたいが「14本」あるいは「13本」のいずれかに収斂されることが予想できます。正解は「14本」ですが、問題文の意を正しく読み取って解決への手続きを滞りなく実行することができれば正解を得ることは難しくありません。最後の詰めの操作をやり残してしまうと1本少ない「13本」と答えてしまうことになります。いま少しく解説を施せば、「太郎君はまずコーラを10本飲み、できた空きビンのうちの9本で新たに3本のコーラを飲める。そこでまた新しい空きビンが3本できたことでコーラを1本飲めるから、合計で14本のコーラが飲める。上記の事柄を式で表現すると、10+3+1=14」という具合になるでしょうか。「13本」と答えた場合、最後の1本ぶんをたしていないことが原因です。最初の当たりぶんだけでなく、“当たりの当たり"ぶんまでをも考えなければ正しい答えに至ることはできません。まず最初の10本をカウントしてからその後2段階の操作が必要になるわけですが、最後の2段階目の操作が正否の分かれ目です。さて結果はといえば、実に興味深いことに、すんなりと正解を導けることができた生徒がいる一方で、こちら側の予期に反し「13本」と誤答する人数が決して少なくなかったのです。実を言えば「13本」と答えた学生の人数は「14本」と答えた生徒とほとんど同じくらいの人数だったのです。いくらか複雑な気持ちになりました。この結果をどう考えれば良いでしょうか。 

もちろん余興であるとことわった上でに問題を提示したのですし、したがってそれに向き合う態度は必ずしも真剣というわけではありませんから、予想よりもまちがいの数が多かったとも考えられます。言わずもがな、集中力の投下密度とパフォーマンスとの結果は相関します。集中力は最大の効果を生むための一番重要な認知資源ですから、その条件が十全に満たされているとはいえない状況では、結果を云々すること自体がナンセンスなのかもしれません。しかし、今回用意した入試問題を実際に解いた受験生に課せられた条件が試験官の読み上げる問題を聞き取るという形でなされたということを顧みれば、目の前のペーパーに書かれた問題を確認しながら考えることができるという点で、条件は易しかったと言えるかもしれません。

ところで、正解不正解の結果よりも私が注意を払ったのは、なぜその結論になったのかの説明を試みさせることでした。言語化過程における言語の運用能力を確認しておきたかったのです。すると再び驚いたことに、「14本」と答えた学生のなかに説明に論理的な飛躍がある生徒がいたかと思えば、かえって「13本」と誤った解答をした者のなかに理路整然とその思考過程を説明する生徒がいたという事実でした。その途中で自らの誤りに気づき「14本!」と訂正するという生徒も何人か出てきました。単なる結果の正否だけでは決してみえてこない私たちがふだん「学力」と呼んでいる力の奥深い1面を改めて再発見した瞬間でした。たかだか小学校入試問題と侮ることなかれ。たった1つの問題を解決することのなかに様々な気づきがあったのです。

さて先日、たまたま私の知己の子どもである年長児の男の子が同じ問題を解く様子を見る機会に恵まれました。彼ははじめ「13本」と答えていました。知人の「なぜそうなるの?」の問いかけに、

「ええとね、まずはじめに10本のめるの。そうしたらそのなかで3本あたるでしょう?だからそれでぜんぶで13本のめることになるの。」と言い、でもどこか引っかかりがあるのか、なんどかプロセスを行って戻っての繰り返しをしては、「あ、おまけの3本も1本ぶんになるから、あと1をたして14本になるよ。ぜんぶで14本のめる!」

「そのとおりだね」


この子がやっていた思考過程は、わたしたちのふだんしている論理的思考と寸分と違わぬものです。この子がやっていたことは、「数」という抽象物を絵に描いてみることで具体化し、思考するという内的空間の出来事を外部化、つまり「見える化」して、それを参照しながら解答を導くまでに必要な複数のオペレーションを丁寧に段取りしてゆくという作業でした。ただし5歳児がもっとも苦しんでいたところは、当たりでもらった3本の空ビンをもとにしてもう1本もらえるというこの問題のハイライトとも言ってよい箇所でした。しかし何度も行きつ戻りつし、もがきながらもすじ道よく思考し続けた結果、正解を得られることができたのです。

「13本」とした中学生に必要なことはなんだったのでしょうか。そして「14本」と正解してもいささか説明に苦慮した中学生に必要なこととはなんだったのでしょうか。
おそらくその答えは、今しがた例に挙げた幼児のした問いへの向き合い方全体のなかに潜んでいるのではないかと思うのです。

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